四国第六十二番霊場 天養山 宝寿寺 四国お遍路八十八ヶ所

四国第六十二番霊場 天養山 宝寿寺のページです。
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四国第六十二番霊場 天養山 宝寿寺

四国第六十二番霊場 天養山 宝寿寺について

住所:愛媛県西条市小松町新屋敷甲428
周辺地図を見る
電話:0898-72-2210
アクセス:JR予讃線伊予小松駅下車。徒歩2分
次の札所まで:徒歩20分 車5分 距離約2km
宿坊:無

天平年間(729年~749年)聖武天皇の勅願により諸国に一の宮が造られたとき、伊予一国一の宮の法楽所として建立されました。その後、幾度かの洪水により荒廃、天養2年(1144年)に再建され、山号を天養山と改め金剛宝寺といわれていました。当時は中山川の下流にありました。弘仁年間(810年~824年)弘法大師がこの地を訪れ光明皇后を頭に描きながら十一面観音像を刻み本尊とし、宝寿寺と改め、第六十二番札所として定められました。
その後、天正13年(1585年)に、豊臣秀吉の四国攻略の兵火によって堂宇は焼失。寛永13年(1636年)四国遍路の行者、宥伝上人により再興、京都の伏見稲荷、岡山の最上稲荷、愛知の豊川稲荷の三神を護法神として祀り、寺門の興隆、諸人の護世安楽を祈願し建立しました。明治の神仏分離令による廃仏毀釈で廃寺に。明治10年(1877年)に再建され現在の地に移されました。

弘法大師が宝寿寺に来られた時、国司越智公夫人は、難産に悩まされていました。夫人が大師に祈祷を頼んだところ、大師は境内にある「玉の井」の霊水を加持して夫人に与えたそうです。すると夫人は元気な男の子を無事出産されたといわれています。以来、安産の観世音菩薩として多くの信仰を集めています。安産観音像の周りにはチシャノキが植えられていて、町の天然記念物に指定されています。

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