四国第五十五番霊場 別宮山 南光坊 四国お遍路八十八ヶ所

四国第五十五番霊場 別宮山 南光坊のページです。
スポンサードリンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサードリンク

四国お遍路八十八ヶ所」応援の為によろしかったらクリックお願いします。
  ↓  ↓  ↓     ↓  ↓  ↓  
「四国お遍路八十八ヶ所」応援の為によろしかったらクリックお願いします。  「四国お遍路八十八ヶ所」応援の為によろしかったらクリックお願いします。

四国第五十五番霊場 別宮山 南光坊

四国第五十五番霊場 別宮山 南光坊について

住所:愛媛県今治市別宮町3-1
周辺地図を見る
電話:0898-22-2916
アクセス:JR予讃線今治駅下車。徒歩8分
次の札所まで:徒歩50分 車15分 距離約3km
宿坊:無

文武天皇の勅願を受け伊予の大守越智玉澄が、今治沖の大三島に大山祇神社を建立、別当寺が24坊ありましたが、不便を感じ和銅5年(712年)対岸に別宮を移動し、8坊も別当寺として移しました。その中の一つが南光坊です。四国霊場で「坊」が付くのはこの寺だけで、本尊として大通智勝如来が祀られているのも南光坊だけです。
天正年間(1573年~1592年)長曽我部軍の兵火に遭い焼失し、南光坊だけが再建されました。慶長5年(1600年)には藤堂高虎公の祈祷所として薬師堂が再建されました。
明治の廃仏毀釈により大山祇神社に奉安していた大通智勝如来を薬師堂に遷し寺として独立しました。本尊大通智勝如来は法華経に出てきます。
昭和20年(1945年)空襲で大師堂と護摩堂を残し焼失し、昭和56年(1981年)本堂が再建されました。

境内に、越智寛雄の墓があります。南光坊の僧だった越智寛雄は高野山で修行し、高野山三宝院の住職になりました。
全国の信者から送られたお供えの米穀の中から質の良い稲の種を選んで、越智寛雄は南光坊に戻るときにそれを持ち帰ったそうです。その米は、檀家の農家に配られ、作られた米は品質がとても良く、やがて三宝米として上方で評判となって、越智寛雄は三宝米の祖と尊敬されたそうです。
また越智寛雄は、讃岐の金比羅から勧請をして持ち帰った分身を護摩堂に安置したそうですが、ある日、護摩堂で霊感を感じた越智寛雄は、金比羅本殿付近で火災が起きていることを聞きました。本殿が焼けないようにと洒水を送り続けたところ、本殿手前で火が止まったといわれています。

同じように境内に南光坊中興の祖・天野快道大僧正の墓も残っています。天野快道は、今治に伝わる「大楠と三匹の狸」という民話の中で、境内で悪さをしていた狸と話をし、諭したという伝説が残っています。頭が良く、体格にも恵まれていたそうです。大正7年(1918年)には真言宗醍醐派管長に選ばれ、京都醍醐寺の座主も務めた高僧だったそうです。

書家として初の芸術院賞を受賞した、川村驥山は昭和25年(1950年)、天皇陛下の中午餐会で四国遍路を知ったそうです。その4年後、娘を伴って四国遍路でこの寺を訪れました。その時、川村驥山が書いた筆塚が境内に建っています。川村驥山の書を観るためにこの寺を訪れる人も多いといいます。川村驥山が使っていた菅笠もここに保存されています。

スポンサードリンク

四国お遍路八十八ヶ所」応援の為によろしかったらクリックお願いします。
  ↓  ↓  ↓     ↓  ↓  ↓  
「四国お遍路八十八ヶ所」応援の為によろしかったらクリックお願いします。  「四国お遍路八十八ヶ所」応援の為によろしかったらクリックお願いします。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。