四国第十九番霊場 橋池山 立江寺 四国お遍路八十八ヶ所

四国第十九番霊場 橋池山 立江寺のページです。
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四国第十九番霊場 橋池山 立江寺

四国第十九番霊場 橋池山 立江寺について

住所:徳島県小松島市立江町若松13
周辺地図を見る
電話:08853-7-1019
アクセス:JR牟岐線立江駅下車。徒歩5分
次の札所まで:徒歩4時間 車30分 距離13.8km
宿坊:有

聖武天皇の勅願により行基菩薩が開基しました。行基は光明皇后の安産祈願のために一寸八分の金の地蔵菩薩を安置し本尊としました。
堂宇建立の際、どこからともなく飛んできた白い鷺が橋(白鷺橋)の上に留まり、行基に建立の場所を示したといいます。当時、白鷺が示した場所は、現在の奥之院の場所である。それ以来、白鷺橋に白鷺が留まっているときに橋を渡ると、仏の罰を受けるといわれています。
その後、弘仁6年(815年)に、弘法大師がこの寺に来られ、行基が刻んだ像は小さいので紛失などを懸念し、六尺の地蔵菩薩を刻み、その胎内に地蔵菩薩の小像を納め、立江寺と命名して第十九番札所として定められました。
地蔵菩薩を刻んで胎内に納めたのが現在本堂に安置されている延命地蔵菩薩像、通称「子安の地蔵尊」です。
この寺は当時は、清水奥谷山麓にありましたが天正年間(1573年~1592年)に長曽我部軍の兵火に遭い本尊を残し焼失しましたが、阿波藩主蜂須賀公により現在地に再建されました。昭和49年(1974年)にも火災で本堂などを焼失しましたが、本尊はまたもや奇跡的に難を免れました。

四国霊場に四つある「関所寺」の一つとして罪人や邪心を持つものは、ここで見破られて罪を受け先に進めないといわれています。その最初の関所となります。悪い事をした人はこの立江寺の山門を通り過ぎる事ができないといわれています。
1700年代初頭、石州の国(島根県)にお京という人がいて要助という夫と暮らしていたそうです。お京は鍛冶屋の長蔵と不義密通を犯し、この事が夫の要助に知れてしまいました。お京は長蔵をそそのかして一緒に要助を殺害して、駆け落ちをしました。その後、二人で自害しようとしましたが決心できず、四国巡礼の旅に出ました。この寺に来て、御参りをしようとした時、お京の髪が逆立って鐘の緒に巻き上げられてしまいました。住職に助けを求め、罪を白状して懺悔すると、お京の髪は頭の肉と一緒に剥ぎ取られていまいました。なんとか一命を取り留めたお京と長蔵は出家して寺の近くに、庵を作り住んだそうです。現在もその庵は京塚として残されていて、その時の鐘の緒は大師堂の右側にある黒髪堂に納められいて、髪の毛の絡みついた鐘の緒を見ることができます。お京はこの関所寺で弘法大師のおとがめを受けたといわれています。
関所寺にはこのような伝説があります。他の三ヶ寺は、二十七番札所神峰寺、六十番札所横峰寺、六十六番札所雲辺寺で、いずれも「遍路ころがし」と呼ばれる難所となっています。

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