四国第十番霊場 得度山 切幡寺 四国お遍路八十八ヶ所

四国第十番霊場 得度山 切幡寺のページです。
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四国第十番霊場 得度山 切幡寺

四国第十番霊場 得度山 切幡寺について

住所:徳島県阿波郡市場町切幡観音129
周辺地図を見る
電話:0883-36-3010
アクセス:JR徳島線鴨島駅下車。市場行きバス15分八幡西下車。徒歩45分
次の札所まで:徒歩2時間30分 車30分 距離約12km
宿坊:無

弘仁6年(815年)に、弘法大師はこの地を巡錫中に機を織る音を耳にして、その民家を訪ね自身の衣服の破れを繕う大師が布を乞うたところ娘は惜しげもなく布を鋏で切って大師に差し出しました。大師は感動して、お礼に何か望みはないかと聞くと、亡き父母のために観音様を刻んでくださいと頼んだ。千手観音を刻み、娘を得度させ、潅頂を授けました。すると娘はその身から光明を放って千手観音の姿にかわりました。
大師は嵯峨天皇に願って寺を建立して得度山潅頂院切幡寺と名付け第十番札所として定めました。
この寺の本尊は二体で、弘法大師作の千手観音が南向きに、女人即身成仏の観音菩薩は北向きに安置されています。
娘が化身した観音菩薩は現存していますが、秘仏とされていて拝顔することはできません。
天正年間(1573年~1592年)に堂宇を焼失、明治42年(1909年)にも火災に遭っています。

本堂より一段高い北方の山腹に、徳川二代将軍秀忠が堺に建立したものを明治6年(1873年)に移転した二重の大塔があって、国指定の重要文化財となっています。
明治42年(1909年)の火災の際に、二十三棟を一夜にして焼失しましたが、この塔は難を免れ、現在でも再興当時の姿が残っています。

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