四国第五十番霊場 東山 繁多寺 四国お遍路八十八ヶ所

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四国第五十番霊場 東山 繁多寺

四国第五十番霊場 東山 繁多寺について

住所:愛媛県松山市畑寺町32
周辺地図を見る
電話:089-975-0910
アクセス:伊予鉄道久米駅下車。津田団地行きバス 繁多寺口下車、徒歩10分
次の札所まで:徒歩50分 車10分 距離約2.7km
宿坊:無

孝謙天皇の勅願により行基菩薩が薬師如来を刻み本尊として開基しました。その後、弘仁年間(810年~824年)に弘法大師がこの地を訪れ、堂塔を修復し東山・繁多寺と号して、第五十番札所として定められました。
弘安2年(1279年)に、元寇の退散祈願の勅命を受けて聞月上人が再興。応永元年(1394年)に、後小松天皇の意向で七皇室の菩提寺京都泉涌寺の快翁和尚が第七世住職を務めました。以来、この寺は高僧が住職となったことで知られ、江戸時代の天和年間(1681年~1684年)には、名僧龍湖が住職を務めました。徳川家の帰依を受け、六十六坊と末寺数百余を有する大寺として栄えたそうです。
時宗の開祖である一遍上人の修行の道場としても知られていて、上人は伊予の名士河野一族の河野通広の次男で、十三歳で出家し太宰府の聖達上人の弟子となりました。上人がこの寺にいたのは、修行を終えて帰郷した頃といわれています。正応元年(1288年)に、故人となった父追善のために「三部経」を繁多寺に奉納。この翌年に一遍上人は兵庫の観音堂で五十一年の生涯を閉じました。

四代将軍徳川家綱の念持仏三体のうち一体、歓喜天が祀られています。本堂の右側の歓喜天堂は、厄除けや商売繁盛、合格祈願にご利益があるといわれ厚い信仰を受けています。しかし一生涯拝み続けないと罰があたるともいわれています。

繁多寺の住職・覚了は日照りから人々を救うために穴を掘って、死を覚悟で雨乞いの行に入りました。念仏の声はだんだん小さくなり、10日目には覚了は亡くなったそうです。その後も人々は念仏を唱え続け、死後23日に大粒の雨が降ったといわれています。

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